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「ニューズレター」 創刊準備号 |
『横浜の魅力を生かす』 (「横浜の魅力を生かす」企画編集委員会編、横浜学連絡会議、2003年3月)より 都市探求の場をつくる――たとえば「横浜学」の場合(鈴木隆) 【鈴木】 初めまして。鈴木です。 最初に本日の核になりますキーワードを3つ申し上げておきます。1つは「古賀十二郎」、もう1つは「横浜学」、そして最後は「多様性」です。これからこれらのキーワードが何度も出てまいります。よろしくお願いいたします。 ●横浜学連絡会議 横浜学連絡会議の発足当時(1991年8月)から今日までずっと幹事と委員をやっております。私の本業は出版業です(専門分野は書物学。株式会社タングラム代表取締役)。連絡会議は年に数回開催されますが、いままで私は1度も欠席したことがありません(通常の会議のほか、編集会議もあります。こちらのほうも1度も休んでおりません)。それにはいくつか理由がありますが、いまここで申し上げたいことはただ1つです。それは、委員(ちょっと大げさに言えば350万人の横浜市民)の中で誰よりも「横浜学」という言葉に思い入れ(あるいは実践者としての自負)があるからです。当初、委員の中で一番若かった(?)という理由からではありません。「横浜学」についてはのちほど触れます。 ●本日の発表者とトークの内容 さて、これからお話しいたします生出恵哉さん、嶋田昌子さん、それから私の3人は、それぞれ民間の会に属し、日々多方面から横浜を探求しております。 先ほどお生まれをお聞きいたしましたら、嶋田さんと私は6年違い、嶋田さんと生出さんも6年違いです。偶然とも言える6年違いです。 所属する会の目的や運営方法は違います。また、3人の横浜探求の動機、目的、方法も異なります。ただし、ここではそれらの相違を強調するよりもいくつかの共通点を見つけたほうが得策だと思います。 いくつかの共通点をあげてみましょう。まずこの3人は、横浜の森羅万象、つまり、横浜のありとあらゆる事象について興味・関心をもっています。しかもいずれもたいへん探究心と好奇心が旺盛です。そのうえ、ともに自分の足で歩き、自分の眼(あるいは五感)でさまざまなもの(史跡だろうが、建物であろうが、あるいは古い文献だろうが)を確かめ、人の話をよく聞きます。 生出さんは横浜生まれです。ご定年までは新聞社で記者(現在はフリーランス)としてご活躍なさいました。最後の15年間は横浜支局にお勤めになりました。つまり、記者時代をも含め、横浜のあちこちをよく歩き、さまざまなことをよく見聞きしています。その成果は、生出さんの著書『横浜山手外人墓地』や『ヨコハマ歴史散歩』などにもいかんなく発揮されています。 嶋田さんも横浜生まれです。勉強会づくりの名人といわれております。これまでさまざまな研究会や組織を立ち上げてきました。また、聞き書きの面でも実績があります。その一部は共著『本牧のあゆみ』『横浜フランス瓦物語』などにも採り入れられています。嶋田さんは、自らガイドをするため、あるいは他のガイドを養成するため横浜の歴史や文化をしっかり学んでいます。とくに現地探訪・研究は怠りません。いつも超多忙な方です。 生出さんも嶋田さんもハマっ子、私だけは山形市生まれです。この3人は、つねに温故知新(つまり古きを訪ねて新しきを知る)という作業を続けながら、横浜探求を楽しんでいます。ただし、活動する場がそれぞれ異なりますので、たとえば、過去、現在、未来のどこに重点を置くかということなどは多少違っています。 そのあたりのことは、これからお話があると思います。この3人に横浜のことを語らせたら、おそらく1、2時間で終わらないでしょう。それぞれ横浜のあらゆる事象について一家言をもっております。 本日の3人は、最初におのおの所属する会についてお話しいたします。次に会の活動、あるいは日々の仕事や生活を通して発見し得た横浜の魅力について自由に語っていただきます。さらにそれらの魅力をふまえ、本日のお集まりの皆さんに何かご提案でもしていただけたらというのが、私の希望です。 ●古賀十二郎 皆さんは、なかにし礼さんの『長崎ぶらぶら節』(文藝春秋、1999年)をご存じでしょうか。この本には2人の男女が登場します。1人は在野の長崎研究者・古賀十二郎、もう1人は長崎の丸山の芸者・愛八です。この2人は長崎の古い歌を捜し求めて歩くのですが、作者はそのありさまを男女の機微を織りまぜてたくみに描いています。彼はこの作品で1999年に第122回の直木賞を受賞しました。ご存じのとおり、なかにしさんは「知りたくないの」「石狩挽歌」「君は心の妻だから」などの作詞でも知られています。 私が知るかぎり古賀(1879-1954)のことを小説にしたものはおそらくこの本が最初だろうと思います。 古賀の業績を後世の人たちは「長崎学」と呼びます。古賀は「長崎学」の泰斗といわれている人物です(専門家によると、古賀自身は自らの著書の中で1度も「長崎学」という言葉を使わなかったそうですが)。私の提唱する「横浜学」の原点もまた、古賀十二郎の業績と生き方にあります。 私が古賀十二郎の存在を知ったのは、30代の初めです。今から25~26年前の話です。当時、東京の出版社(大修館書店)に勤めており、長崎出島のオランダ通詞が編纂した日本最初の英語辞典の復刻版を世に出すため、いろいろ文献を読み漁っていました。その1冊に古賀十二郎著『徳川時代に於ける長崎英語の研究』(九州書房、1947年)がありました。それは粗末な仙花紙でできた薄い並製の本でした。しかし、その本を読んだとき、古賀の探求心に思わずうなってしまいました。それ以来、古賀の著書のほとんどに目を通しました。そして彼の生き方にも深く感動しました。 古賀は、終始在野にあって比類なき情熱と実証精神をもって長崎の歴史と文化を広く、深く研究しました。 現在でも古賀の業績は、いわゆる地方(郷土)史の枠をはるかに越えて高い峰々をなし、中央の研究者たちに強烈なインパクとを与え続けています。とくに古賀は、内外の長崎関係の文献収集するために莫大な資産を投下しました。彼の研究はこれらの文献に裏づけられています。 私は古賀十二郎から学んだことがたくさんあります。そのうち、ここでは2つほどあげておきます。1つは、「長崎学」から「横浜学」という言葉をいただいたことです。もう1つは、古賀のものの見方、つまり、地域研究をする場合、いつも「内」と「外」から同時に検証すべきだということです。つまり、長崎の文化事象を研究するときは、郷土の文献と同時に海外の文献(出島から海外に発信された文献)を駆使するという姿勢です。古賀は、身内だけのお国自慢、つまり「タコ壷文化論」を極力避けたかったからに違いありません。 古賀は、現在の東京外国語大学の出ですが、英語ばかりでなく、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、中国語にも通じており、自由に海外の文献を読むことができました。いわゆるポリグロットです。 いずれにしても当時、私は「長崎学」に影響を受け、会社を定年になったら、「横浜学」という言葉をキーワードにして「横浜学会」をつくろうと考えたわけです。ところが、それは予定よりずっと早く実現します。 ●「横浜学」 おそらく皆さんの中で2002年12月2日付の『朝日新聞』(神奈川版)をご覧になった方も多数いらっしゃると思います。そこには私たちの会、「横浜学」を考える会のことが載っていました。この記事に関して会の事務局に100本近いお電話をいただきました。多くはそんな会が横浜にあるとは知らなかったという内容です。 私は1984年の春、横浜に自分の出版社を創りました。同時にその年の10月、横浜市民の学びの場としての「横浜学(横浜学会)」を提唱し、数名の有志とともに小さな会(「横浜学」を考える会)を立ち上げました。当時、残念ながら、長崎学や古賀十二郎の業績や生き方を話してもほとんど理解してもらえませんでした。横浜学連絡会議に関わる7年前のことです。事務局は「横浜学」と言い出したおまえがということで、以後、あらゆる仕事を引き受けてきました。 「横浜学」は、これまですでに157回の研究会(公開講座)を開催してきました。私のボランティア活動の総時間数(私も何度か発表していますがそのための調査研究の時間は含みません)も2600時間をゆうに超えます。どんな小さい会でもそれを育てていこうとすれば、誰もがそれなりの労力と時間(他人にとってはムダに思えるような時間であっても)を使っているものです。さらに、善し悪しは別にして、この18年間、私ほど「横浜学」という言葉をここ横浜ばかりでなく全国各地で多用してきたものはいないかもしれません。そのせいかどうか分かりませんが、私たちの会は全国的によく知られております。 ところで、「横浜学」とは何かということですが、一応簡単にお手元のレジュメ(この項の「付録」を参照してください)に書いておきましたので、お読みください。 私たちはすべての会員に等しく発表の場を提供しております。また、会員でカバーできない分野は、外部の講師(プロからアマまで)をお招きしてみんなで学んでいます。発表時間は1時間半から2時間です。人前で1時間半も発表しようと思えば、それなりの準備が必要です。これまでアマはプロに学び、プロはプロらしく種々の発表会(公開講座)を続けてまいりました。私は編集者ですから、会がピラミッド型の組織(プロとアマチュアの力による上下関係)にならないように絶えず注意してきました。 ●多様性 横浜の人口は、1951年に100万人、1968年に200万人、1985年に300万人になりました。100万人が17年ごとに増えてきたわけです。いわゆる17年説です。そして、現在は350万人です。私が横浜市民になりましたのは、1966年ですから人口爆発の初期の段階です。このように戦後、急激に横浜という都市に多様な地域、多様な国々から多数の老若男女が流入してきたわけです。横浜は、まさしく異文化の坩堝です。普段はあまり気がつきませんが、横浜の魅力はその多様性にあります。 ところが、私はハマっ子とか、横浜通だとかいう人たちにお会いするたび、なぜか時々フラストレーションを感じます。いつも一元的なものの見方に終始するからです。横浜は決して一元的でなく、多元的な要素を内包している都市です。 お手元のレジュメ(「付録」)をご覧ください。ここには「横浜学」という言葉に含まれる8つの概念をあげておきました。これらの中には、横浜の多様性を考えるうえでも重要な概念が含まれています。一見、両極端に見えるさまざまな言葉が同居するのが都市・横浜です。 新住民と旧住民のそれぞれの文化、海と丘とのそれぞれの文化、国内と外国とのそれぞれの文化、これらの多様な文化が複合してあらたな文化を生みだすわけです。金沢区あたりに行けば、800年前の祖先と同じ土地に住んでいるという人もいます。ところが、私のところには、戸塚に1年前に引っ越してきたけど、海が見えないなどという電話もあります。横浜に引っ越せば、どこからでも海が見えると思っていた人の嘆きでの声です。 本日、皆さんに申し上げたいことは、一人ひとり自分のテーマをもって横浜の森羅万象を調べてほしいということです。自分のテーマをもつことによって横浜の見方も違ってくるからです。『横浜学セミナー35 横浜の学び方・歩き方』にいくつかの事例が載っています。去年3回にわたって、横浜学とは何かを多方面から考えてみましたので、ぜひお読みいただきたいと思います。重要なことは、自分にあったテーマを見つけ、同好の士とともに学びあうことです。 皆さんもおそらくお気づきでしょうが、私たちは観光パンフレットの中に横浜の魅力を探し求めることはありません。横浜には、市民の「学びの場」が多数存在します。これはまさしく横浜の魅力の1つです。生出さんたちの会も、嶋田さんたちの会も、そして私たちの会も学びの場です。市内にたくさんある学びの場をどのように活かすか。これは皆さんご自身の問題です。市民の学びの場、あるいは、活動の場が多ければ多いほど、まだ誰も気がつかない横浜の魅力を発掘する機会は増します。 「横浜学」を例にあげますと、会員が100人集まれば、そこには100のテーマと100の探求方法が生まれ、100の発見があるわけです。これは、まさしく新たなる横浜の魅力の発見を意味します。「横浜学」の究極の楽しみは、自分の言葉で横浜を捉えるところにあります。そのためには既成の学びの場を活用するのもよいでしょう。もしご自分にあった学びの場がなければ、ご自身で新しく創ってみてはいかがでしょうか。 ご清聴ありがとうございました。 ●付録「レジュメ」(鈴木隆の自問自答)より ――横浜の魅力とはなんですか? 「人口が350万人、全18区で構成された巨大都市・横浜の魅力を一言で表現するのはとても危険なことです。横浜のヒト・モノ・コト・情報などに寄せる興味・関心・想いは人それぞれだからです。したがって、100人の市民が集まれば、100の横浜の魅力が存在すると考えたほうが自然です。バブル崩壊後、あるいは文部省(現在の文部科学省)が生涯学習と言いだしてから、横浜市内でも市民の種々の学習活動が盛んになりました。すでに多くの市民は多方面から都市探究を楽しんでいます」 ――横浜学って? 「横浜の発見学です。横浜のヒト・モノ・コト・情報、つまり、横浜の森羅万象を過去・現在・未来を問わず、一人ひとりが自分のテーマをもって調査・探究することです。そしてその過程で得られた知見をお互いに発表しあいます。横浜学は、当世風に言えば、市民の生涯学習の場、私流に言えば、市民のライフワーク構築の場です。今ここではくわしくは解説できませんが、横浜学には次のような2つの対になるさまざまな概念(コンセプト)が入っています。
――ところで、会は現在で157回とか。「横浜学」を提唱した頃、「横浜って寂しいところだなあ」とよく言っていましたが、あれからすでに18年も経ちましたが、その気持ちは変わりましたか? 「今でもそうです。私が寂しいと感じるのは、何でも言いあえる、探求心、好奇心に満ちた編集者がいないからです。ご存じですか、350万人の巨大都市・横浜には全国の読者に向けて発信する出版社がほとんどないということを。このことは1984年当時とまったく変わりません。日本には4424社ほど出版社があるわけですが、横浜から全国へ向けて発信できる出版社は十指にも満たないのです。東京に全体の78パーセントの出版社が集中していますからね。出版社がないということは、いわゆる時代の風や文化を多角的な視点、つまり、タテ・ヨコ・ナナメ・オモテ・ウラから読み取り、それらをカタチにする編集者がいないということに等しいわけです。私は今でも東横線で多摩川を渡り東京に入ると、なぜかほっとします。そして同時になにかウキウキした気分になります」 ――それでも横浜学をつづけているわけは? 「東京に近すぎて、出版社が極端に少ないのはとても寂しいことです。でも私には、この横浜という都市そのものを編集者の視点――タテ・ヨコ・ナナメ・オモテ・ウラから読み取ろうとする好奇心がまだ残っています。横浜の森羅万象を解読することはまして一人ではできませんからね。事実、『考える会の歩み』を東京の編集者たちに見せると誰も一様に驚きますし、同時にうらやましがられます。今でも全国各地からの問い合わせが多数あります」 ――ということは、横浜にはまだ隠れた魅力が無数にあるということ? 「もちろんです。横浜をただ単に観光の対象として眺めているのと違って、会員一人ひとりが自分の興味や関心にそって横浜を探究するわけですから、テーマは無限です。誰でもちょっと努力すれば、これまで知られていなかったことをたくさん発見できます。しかも、プロ、セミプロ、アマチャアも横に並んで、横浜を自由に探求する。これは実に贅沢な学びのあり方です。横浜の森羅万象を素材にして、自分の方法で都市を耕す喜びは、探求者なら誰でも味わえます。横浜の魅力とは、市民一人ひとりの個性のきらめきの集合・集積なのです。横浜には、街を探求する場がたくさんあります。ぜひ自分のライフワークの場となる活動の場を見つけてください。なければ、自分でつくってみてはいかがですか」 |
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「ニューズレター」第1号 増補版 横浜関係参考文献 ① 本の森を歩く 鈴木 隆 |
下記の文献は、これまで私が読んだり、眺めたり、使ったりしたものです。今回は、『わたしの横浜』(横浜学連絡会議、2001年)に掲載した「横浜関係参考文献」(鈴木)に、『横浜散歩道』(横浜学連絡会議、2002年)の「参考文献」(複数の執筆者)の中からあらたに10数冊ほど選び、追加しました。浩瀚・大部なものから新書・文庫、さらには冊子・情報紙(誌)の類まで、しかも内容も硬軟入りまじっています。紙幅の都合ですべての分野を網羅できませんでした。いささか私的な好みに傾きがちですが、これもまたひとつの横浜学の表現方法とお考えいただければ幸いです。 記載順は、書名・巻(冊)数・新書・文庫・著者(編者・訳者)・発行所・刊行年(復刻版)です。ただし、著者(編者)と発行所者が同じ場合は前者のみを記しました。漢字(書名・著者名・発行所名等)は新字体を用いました。ジャンル構成は便宜上の区分けです。区史、社史、銀行史、学校史、県史類は省きました。 ●本と文化 『横浜市中央図書館開館記念誌 横浜の本と文化』横浜市中央図書館開館記念誌編集委員会、横浜市中央図書館、1994年〔本誌は、「出版・読書文化・外国文化・図書館」の4編から成る。石井光太郎の項「横浜本発掘史」は出色のでき。別冊には人物紹介ほか、雑誌・新聞・社史・絵地図目録あり〕 ●歴史とその周辺 『横浜沿革誌』太田久好編、東洋社、1892年〔復刻版 石井光太郎校訂、有隣堂、1970年。白話社、1974年〕 『横浜開港五十年史』上・下巻、肥塚龍、横浜商工会議所、1909年〔復刻版 名著出版、1973年〕 『横浜開港側面史』横浜貿易新報社編、1909年〔復刻版 歴史図書社、 1979年〕 『横浜開港五十年紀念帖』成田達三(景暢)編、横浜時事新報社、1910年 『横浜近郊文化史』石野瑛、文学社、1927年〔復刻版 歴史図書社、1978年〕 『横浜市誌』越智剛二郎編、横浜市誌編纂所、1929年 『横浜市史稿』全11冊、横浜市役所編、横浜市、1931-33年〔復刻版 臨川書店、1985年〕 『横浜市史』全34冊、横浜市史編集室編、横浜市、1958-82年 『横浜市史 II』全16冊(うち2冊未完)、横浜市総務局市史編集室編、横浜市、1993-2000年 『横浜市会史』全6巻、横浜市会事務局、1983-88年 『図説横浜の歴史』「図説・横浜の歴史」編集委員会編、横浜市市民局市民情報室広報センター、1989年 『横浜 いま/むかし』日本語補助版(英文版あり)、横浜市立大学編、横浜市立大学、1990年 『横浜疫病史――万冶病院の百十年』内海孝編、横浜市衛生局、1988年 『横浜繁昌記』横浜新報社、1903年〔復刻版、横浜郷土研究会、1997年〕 『横浜今昔』淵野修編、毎日新聞社横浜支局、1957年 『横浜どんたく』上・下巻、石井光太郎・東海林静男編、有隣堂、1973年 『港都横浜の誕生』新書、石井孝、有隣堂、1976年 『横浜史話散歩――近代化うら話』佃実夫・内田四方蔵、創元社、1977年 『史話・私の横浜地図』内田四方蔵、横浜歴史研究普及会、1986年 『横浜もののはじめ考』横浜開港資料館編、1988年 『資料が語る横浜の百年――幕末から昭和初期まで』横浜開港資料館編、1991年 『開港場横浜ものがたり』横浜開港資料館・横浜市歴史博物館編、横浜開港資料館・横浜市歴史博物館、1999年 ●辞彙・年表・事典・辞典 『横浜社会辞彙』日比野重郎編、横浜通信社、1917年〔復刻版『横浜近代史辞典』に改題、湘南堂書店、1986年〕 『横浜歴史年表』横浜歴史年表編纂委員会編、横浜市、1951年 『横浜歴史年表』索引、大下寿一編(横浜市総務局)、横浜市、1953年 『横浜近代史総合年表』松信太助編、石井光太郎・東海林静男監修、有隣堂、1989年 『横浜経済・文化事典』横浜市立大学経済研究所編、1958年 『近代日本総合年表』(第3版)岩波書店編集部編、岩波書店、1995年 『明治事物起原』石井研堂、春陽堂、1936年〔復刻版、筑摩書房、1997年〕 『和英語林集成』文庫・復刻版、J・C・ヘボン、松村明解説、講談社、1980年 ●経済・商業 『開港と生糸貿易』上・中・下巻、藤本実也、刀江書院、1939年〔復刻 版 名著出版、1987年〕 『横浜茶業誌』横浜市茶商組合、1958年 『横浜経済物語』横浜商工会議所百年史編集室編、神奈川新聞社、1980年 『横浜商工会議所百年史』横浜商工会議所創立百周年記念事業・企画特別委員会百年史編纂分科会編、横浜商工会議所、1981年 『横浜中華街――開港から震災まで』横浜開港資料館、1994年 ●人物 『開港五十年紀念 横浜成功名誉鑑』森田忠吉編、横浜商况新報社、1910年〔復刻版、有隣堂、1980年〕 『大谷嘉兵衛翁伝』茂出木源太郎、大谷嘉兵衛翁伝頌徳会、1931年 『美沢先生』山本和久三編、Y校同窓会、1937年 『福寿翁』横田渉編、渡辺利二郎、1950年 『近代日本画を育てた豪商原三溪』竹田道太郎、有隣堂、1981年 『三溪 原富太郎』白崎秀雄、新潮社、1988年 『新版 炎の生糸商 中居屋重兵衛』新書、萩原進、有隣堂、1994年 『横浜商人とその時代』新書、横浜開港資料館編、有隣堂、1994年 『横浜関係人物検索図書目録』横浜開港資料館編、1994年 『よこはま人物伝――歴史を彩った50人』横浜開港資料館編、神奈川新聞社・かなしん出版、1995年 『野村洋三伝』白土秀次、神奈川新聞社、1965年 ●開港・港 『ペルリ提督日本遠征記』上・下巻、F・L・ホークス編、土屋喬雄・玉城肇共訳、弘文荘、1935-36年〔文庫4冊、岩波書店、1945-55年〕 『ペリー提督日本遠征記』合衆国海軍省編、大羽綾子訳、法政大学出版局、1953年 『ペリー日本遠征随行記』S・W・ウィリアムズ著、洞富雄訳、雄松堂、1970年 『ペリー提督――日本遠征とその生涯』宮永孝、有隣堂、1981年 『ペリー日本遠征日記』M・C・ペリー著、金井円訳、雄松堂、1985年 『黒船前後の世界』加藤祐三、岩波書店、1985年〔文庫、筑摩書房、1994年〕 『黒船異変――ペリーの挑戦』新書、加藤祐三、岩波書店、1988年 『ペリー艦隊日本遠征記』全3冊・海図 オフィス宮崎訳・構成、栄光教育文化研究所、1997年 『猪口孝が読み解く『ペリー艦隊日本遠征記』』猪口孝監修、三方洋子訳、NTT出版、1999年 『黒船来航と横浜』石井光太郎編、横浜郷土史研究会、1993年 『横浜港史』全3冊、横浜港振興協会・横浜港史刊行委員会編、横浜市港湾局企画課、1989年 ●外国人・居留地 『ヤング・ジャパン――横浜と江戸』全3巻・東洋文庫、J・R・ブラック著、ねず・まさし・小池晴子訳、平凡社、1970年 『ドクトル・ヘボン』高谷道男、牧野書店、1954年 『ヘボンの手紙』新書・増補版、高谷道男編訳、有隣堂、1982年 『ヘボンの生涯と日本語』望月洋子、新潮社、1987年 『ヘボン――同時代人の見た』W.E.グリフィス著、佐々木晃訳、教文館、1991年 『横浜ものがたり――アメリカ女性の見た大正期の日本』セオダテ・ジョフリー著、中西道子訳、雄松堂出版、1998年 『横浜居留地の諸相』横浜居留地研究会編、横浜開港資料館、1989年 『図説横浜外国人居留地』横浜開港資料館編、有隣堂、1998年 ●案内・町名 『横浜開港見聞誌』全6冊、玉蘭斉貞秀(五雲亭貞秀)、1862年(前編3冊)・65年(後編3冊)〔復刻版 名著刊行会、1979年〕 『横浜歴史散歩――文明開化のふるさと』佃実夫、創元社、1975年 『横浜山手――日本にあった外国』鳥居民、小串世喜(挿絵)、草思社、 1977年 『横浜歴史散策』文庫、白神義夫、保育社、1979年 『横浜外人墓地図鑑』大藤啓矩、外人墓地を愛する会、1983年 『横浜山手外人墓地』生出恵哉、暁印書館、1984年 『横浜外人墓地――山手の丘に眠る人々』武内博著、東海林静男・斎藤多喜夫編集協力、山桃舎、1985年 『ヨコハマ公園物語――港町の歴史を歩く』新書、田中祥夫、中央公論、 2000年 『開港から震災まで・横浜中華街』伊藤泉美、横浜開港資料館、1994年 『横浜中華街探検』菅原一孝、講談社、1966年 『横浜の町名』横浜市市民局編、1996年 ●震災 『横浜市震災誌』全5冊、横浜市、1926-27年 『横浜復興誌』全4冊、横浜市、1932年 『歴史の真実 関東大震災と朝鮮人虐殺』関東大震災50周年朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会・調査委員会(代表・高橋磧一)、現代史出版、1975年 『大正大震火災誌』神奈川県警察部編、神奈川県警察部、1926年 『関東大震災誌・神奈川編――写真と地図と記録で見る』千秋社、1988年〔『大正震災誌』内務省社会局、1911年、複製増補〕 『古き横浜の壊滅』新書、O・M・プール著、金井円訳、有隣堂、1976年 『横浜に震災記念館があった』横浜郷土研究会、1995年 ●戦争 『日露戦役 神奈川県紀念誌』大木捨蔵編、神奈川県紀念誌発行所、1908年 『横浜港ドイツ軍艦燃ゆ――惨劇から友情へ50年目の真実』石川美邦、木馬書館、1995年 『昭和二十年五月二十九日――横浜大空襲の記録』新書、東野伝吉、講談社、1973年 『横浜の空襲と戦災』全6巻、横浜市・横浜の空襲を記録する会共編、 1975-77年 『占領の傷跡――第二次大戦と横浜』新書、服部一馬・齊藤秀夫、有隣堂、1983年 『戦時下に生きる――第二次大戦と横浜』新書、伊豆利彦、有隣堂、1980年 『新版 大空襲5月29日――第二次大戦と横浜』新書、今井清一、有隣堂、1995年 『横浜市の学童疎開――それは子どもたちのたたかいであった』横浜市の学童疎開五十周年を記念する会編集協力、「横浜市の学童疎開」刊行委員会、1996年 『終戦40年 占領・復興・そして今 ヨコハマ戦後展』冊子、神奈川新聞社・朝日新聞社編、1985年 ●図誌・銅版画・絵葉書・浮世絵 『江戸時代図誌 25 長崎・横浜』越中哲也・大戸吉古編、筑摩書房、1976年 『明治大正図誌 4 横浜・神戸』土方定一・坂本勝比古編、筑摩書房、1978年 『ペドラー・コレクション 横浜絵葉書』ニール・ペドラー編、大津侃也訳、石井光太郎監修、有隣堂、1980年 『横浜銅版画――文明開化期の建築』神奈川県立博物館編、有隣堂、1982年〔「横浜諸会社諸商店之図」あり〕 『よこはま絵葉書集』横浜歴史研究普及会編、横浜郷土研究会、1983年 『横浜浮世絵』丹波恒夫、朝日新聞社、1962年 『横浜浮世絵』横田洋一編、有隣堂、1989年 『横浜絵葉書』半沢正時編、有隣堂、1989年 『横浜絵地図』岩壁義光編、有隣堂、1989年 『100年前の横浜・神奈川――絵葉書でみる風景』横浜開港資料館編、有隣堂、1999年 『集大成 横浜浮世絵』神奈川県立博物館編、有隣堂、1979年 『横浜浮世絵と近代日本――異国゙横濱″を旅する』神奈川県立博物館編、1999年 『横浜開化錦絵を読む』宗像盛久編、東京堂出版、2000年 ●写真 『神奈川の写真誌』全5冊(明治前期、中期、後期、大正、関東大震災)、金井円・石井光太郎編、有隣堂、1970-71年 『ヨコハマ・フォト・ドキュメント 敗戦の哀歌』奥村泰宏(写真)、東野伝吉(文)、有隣堂、1981年 『F・ベアト幕末日本写真集』横浜開港資料館編、1987年 『写真集「明治の横浜・東京」――残されていたガラス乾板から』横田洋一監修、『写真集「明治の横浜・東京」』を刊行する会、1989年 『五十嵐英寿写真集 横浜 みなとの唄』五十嵐英寿、神奈川新聞社・かなしん出版、1988年 『小野肇写真集 横浜――文明開化の町から21世紀に向かって』小野肇、1989年、神奈川新聞社 『横浜再現 戦後50年・二人で写した敗戦ストーリ』奥村泰宏・常盤とよ子、平凡社、1996年 ●美術 『横浜美術風土記』横浜美術風土記編集委員会編、横浜市教育委員会、1976年 『神奈川県美術風土記』全3冊 神奈川県立近代美術館編、有隣堂、1969-72年 『「横浜ゆかりの画家たち」展――開港から現在まで』弦田平八郎・岡部昌幸監修、神奈川新聞社、1989年 『鏑木清方と金沢八景』八柳サエ・横浜美術館学芸部編、横浜美術館叢書6、有隣堂、2000年 『美術のなかの横浜』宮野力哉、有隣堂、1994年 ●日記 『関口日記』全26巻、横浜市文化財研究調査会編(石井光太郎・内田四方蔵編集校訂)、横浜市教育委員会、1971-85年 『『名主日記』が語る幕末』横浜開港資料館編、1986年 『日記が語る19世紀の横浜――関口日記と堤家文書』横浜開港資料館・横浜近世史研究会編、山川出版社、1998年 ●小説 『横浜の作家たち――その文学的風土』尾崎秀樹、有隣堂、1980年 『夜明け前』全4冊・文庫・改版、島崎藤村、新潮社、1968年 『忘れ残りの記――四半世紀自叙伝』吉川英治、文藝春秋、1957年〔文庫 講談社、1975年『吉川英治全集』第40巻、講談社、1984年〕 『かんかん虫は唄う』文庫、吉川英治、講談社、1990年〔『吉川英治全集』第10巻、講談社、1983年〕 『吉川英治と明治の横浜――自伝小説『忘れ残りの記』を解剖する』横浜近代文学研究会編、白楽、1989年 『大仏次郎時代小説全集』第13巻、大仏次郎、朝日新聞社、1976年〔「霧笛」「幻燈」「花火の街」「赤屋敷の女」を収録〕 ●随筆 『よこはま白話』長谷川伸、北辰堂、1954年〔『長谷川伸全集』第12巻、朝日新聞社、1972年〕 『わが横浜』寺田透、河出書房新社、1978年 『横浜物語』瓜生卓造、東京書籍、1978年 『西洋の見える港町横浜』中野孝次、沢田重隆(絵)、思草社、1997年 ●演劇 『横浜演劇百四十年――横浜芸能外伝』小柴俊雄、ケー・エス・シー、2001年 『よこはま芸人――痴遊からひばりまで』港家千潮、横浜歴史研究普及会、1988年 『横浜の芝居と劇場――幕末・明治・大正』横浜開港資料館編、1992年 『横浜ゲーテ座――明治・大正の西洋劇場』(第2版)升本匡彦、岩崎博物館出版局、1986年 ●音楽 『横浜と音楽』「横浜と音楽」編集委員会編、横浜市教育委員会、1986年 『横浜貿易新報 大正年間 音楽記事集録』齋藤龍編、1989年 ●キリスト教 『図説横浜キリスト教文化史』横浜プロテスタント史研究会編、有隣堂、1992年 『明治の横浜――英語・キリスト教文学』小玉晃一・敏子、笠間書院、1979年 『横浜教会百年史』〔横浜教会百年史〕編纂委員会編、日本バプテスト横浜教会、1981年 ●女性 『夜明けの航跡――かながわ近代の女たち』神奈川県立婦人総合センター かながわ女性史編集委員会編、ドメス出版、1987年 『よこはまを生きる女たち』「よこはまを生きる女たち」刊行委員会編、横浜市教育委員会婦人会館、1990年 『史の会研究誌』第1-4号、史の会編、1991-2001年 ●新聞 『横貿・神奈川新聞の紙面から 一世紀の軌跡』神奈川新聞社編集局編、神奈川新聞社出版局、1986年 『横浜から新聞を創った人々』山室清、神奈川新聞社、2000年 『『横浜毎日新聞』が語る明治の横浜』1-3集、横浜開港資料館編、1985- 87年 『官許横浜毎日新聞』復刻、毎日新聞社編、不二出版、1989-90年 『東京横浜毎日新聞』復刻、毎日新聞社編、不二出版、1990-93年 『横浜関係新聞記事年表稿 1895年-1899年』横浜開港資料館・横浜開港資料普及協会編、横浜開港資料館、1991年 『横浜開港資料館所蔵 新聞・雑誌目録』横浜開港資料館編、1991年 ●自然 『神奈川県植物誌1988』神奈川県植物誌調査会、神奈川県立博物館編、神奈川県立博物館、1988年 『ヒマラヤ杉最初の輸入者ブルーク氏墓碑調査報告』横浜史料調査委員会編、横浜史料調査委員会、1935年 『カタクリの咲く谷戸に――横浜・新治の自然誌』緑区・自然を守る会、文一総合出版、1991年 ●スポーツ 『居留外国人による横浜スポーツ草創史』山本邦夫・棚田真輔、道和書院、1977年 『横浜スポーツ百年の歩み』横浜市体育史企画刊行委員会、横浜市体育史編集会議企画編集、横浜市教育委員会体育課、1989年 ●情報紙(誌)・他 『開港のひろば』年4回、横浜開港資料館 『横浜市立図書館報 横浜』年3回、横浜市中央図書館 『横浜のたより』月刊、財団法人横浜観光コンベンション・ビューロー 『有鄰』月刊、有隣堂 『ヨコハマ文化情報』月刊、横浜市文化振興財団 『市民グラフ ヨコハマ』季刊、横浜市 『横浜を楽しむ方法』冊子、鈴木隆、横浜学連絡会議、1993年〔上記の情報紙(誌)の楽しみ方を紹介〕 ●横浜学連絡会議 『わたしの横浜』横浜学連絡会議10周年記念誌編集委員会編、横浜学連絡会議、2001年 『横浜散歩道』横浜散歩道編集委員会編、横浜学連絡会議、2002年 (すずき・たかし 横浜学連絡会議幹事、「横浜学」を考える会事務局長) |
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「ニューズレター」第2号 「横浜学」と「地域学」に関する主な鈴木隆執筆目録 ① 2003年作成 |
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「ニューズレター」第3号 第167回・公開講座のお知らせ(創立20周年) 「横浜学」を考える会 2004年作成 |
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〒221-0802 横浜市神奈川区六角橋3-24-6 「横浜学」を考える会 事務局 045-491-0437(専用) |
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「ニューズレター」第4号 横浜学関連講座のお知らせ 2006年10月作成 |
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講演 2006年10月14日(土) ●「地域学入門――小田原学こと始め」 関東学院大学小田原市民公開講座第1回 <小田原市委託講座> ●地域学とは何か 「横浜学」の20年の活動をふまえて ●講師:鈴木 隆 ●関東学院大学小田原キャンパス ●問い合わせ先:関東学院大学法学部庶務課 公開講座係 0465-34-2211 講義 2006年11月18日(土) ●「かながわ検定・横浜ライセンス」 ●06年月例セミナー 「横浜学の愉しさ」 ●主催:かながわ検定協議会 ●講師:鈴木 隆 |
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「ニューズレター」第5号 「横浜学」と「地域学」に関する主な鈴木隆執筆目録 ② 2006年10月作成 |
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「ニューズレター」第6号 増補・大学生版 横浜関係参考文献 ② 本の森を歩く 鈴木 隆 |
鈴木隆編「増補版 横浜関係参考文献 本の森を歩く」(一部抜粋) 記載順は、書名・巻(冊)数・新書・文庫・著者(編者・訳者)・発行所・刊行年(復刻版)です。ただし、著者(編者)と発行所者が同じ場合は前者のみを記しました。漢字(書名・著者名・発行所名等)は新字体を用いました。ジャンル構成は便宜上の区分けです。区史、社史、銀行史、学校史、県史類は省きました。 ●本と文化 『横浜市中央図書館開館記念誌 横浜の本と文化』横浜市中央図書館開館記念誌編集委員会、横浜市中央図書館、1994年 〔本誌は、「出版・読書文化・外国文化・図書館」の4編から成る。別冊には人物紹介ほか、雑誌・新聞・社史・絵地図目録あり〕 ●歴史とその周辺 『横浜沿革誌』太田久好編、東洋社、1892年〔復刻版 石井光太郎校訂、有隣堂、1970年。白話社、1974年〕 『横浜開港五十年史』上・下巻、肥塚龍、横浜商工会議所、1909年〔復刻版 名著出版、1973年〕 『横浜開港側面史』横浜貿易新報社編、1909年〔復刻版 歴史図書社、1979年〕 『横浜開港五十年紀念帖』成田達三(景暢)編、横浜時事新報社、1910年 『横浜近郊文化史』石野瑛、文学社、1927年〔復刻版 歴史図書社、1978年〕 『横浜市誌』越智剛二郎編、横浜市誌編纂所、1929年 『横浜市史稿』全11冊、横浜市役所編、横浜市、1931-33年〔復刻版 臨川書店、1985年〕 『横浜市史』全34冊、横浜市史編集室編、横浜市、1958-82年 『横浜市史 II』全16冊(うち2冊未完)、横浜市総務局市史編集室編、横浜市、1993-2000年 『横浜市会史』全6巻、横浜市会事務局、1983-88年 『図説横浜の歴史』「図説・横浜の歴史」編集委員会編、横浜市市民局市民情報室広報センター、1989年 『横浜 いま/むかし』日本語補助版(英文版あり)、横浜市立大学編、横浜市立大学、1990年 『横浜疫病史――万冶病院の百十年』内海孝編、横浜市衛生局、1988年 『横浜繁昌記』横浜新報社、1903年〔復刻版、横浜郷土研究会、1997年〕 『横浜今昔』淵野修編、毎日新聞社横浜支局、1957年 『横浜どんたく』上・下巻、石井光太郎・東海林静男編、有隣堂、1973年 『港都横浜の誕生』新書、石井孝、有隣堂、1976年 『横浜史話散歩――近代化うら話』佃実夫・内田四方蔵、創元社、1977年 『港町・横浜の都市形成史』横浜市企画調整局、1981年 『横浜もののはじめ考』横浜開港資料館編、1988年 『横浜絵地図』岩壁義光編著、有隣堂、1989年 『資料が語る横浜の百年――幕末から昭和初期まで』横浜開港資料館編、1991年 『開港場横浜ものがたり』横浜開港資料館・横浜市歴史博物館編、横浜開港資料館・横浜市歴史博物館、1999年 『都市横浜の半世紀――震災復興から高度成長まで』新書、高村直助著、2006年 ●辞彙・年表・事典・辞典 『横浜社会辞彙』日比野重郎編、横浜通信社、1917年〔復刻版『横浜近代史辞典』に改題、湘南堂書店、1986年〕 『横浜歴史年表』横浜歴史年表編纂委員会編、横浜市、1951年 『横浜歴史年表』索引、大下寿一編(横浜市総務局)、横浜市、1953年 『横浜近代史総合年表』松信太助編、石井光太郎・東海林静男監修、有隣堂、1989年 『横浜経済・文化事典』横浜市立大学経済研究所編、1958年 『近代日本総合年表』(第3版)岩波書店編集部編、岩波書店、1995年 『明治事物起原』石井研堂、春陽堂、1936年〔復刻版、筑摩書房、1997年〕 『和英語林集成』文庫・復刻版、J・C・ヘボン、松村明解説、講談社、1980年 ●情報紙(誌) 『開港のひろば』年4回、横浜開港資料館 『横浜市立図書館報 横浜』年3回、横浜市中央図書館 『横浜のたより』月刊、財団法人横浜観光コンベンション・ビューロー 『有鄰』月刊、有隣堂 『ヨコハマ文化情報』月刊、横浜市文化振興財団 ●「横浜学」を考える会・横浜学連絡会議 『横浜学』1号(1988年6月)、2号(1989年11月)、3号(1992年10月)「横浜学」を考える会編 『横浜を楽しむ方法』鈴木隆著、横浜学連絡会議、1993年 『横浜の学び方・歩き方――都市を耕す楽しみ』鈴木隆ほか、横浜学連絡会議、2002年 『横浜の魅力を生かす』横浜学連絡会議、2003年 『季刊 東北学』(特集 地域学のいま)第6号、東北芸術工科大学 東北文化研究センター、柏書房、2006年 ○上記『横浜の魅力を生かす』拙稿より 2006年10月作成 |
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